法科大学院卒業

 今日、単位取得状況はまだ全て判明していないものの、取得単位が卒業単位要件を満たしたので


 卒業できることになりました。





 それにしても3年は短い。


 この3年間ではっきり言って法律ができるようになった実感がわかない。


 あまり学部のころと変わっていない気さえする。


 大量の事務処理はこなしているだけに不思議だけど、フローが多すぎて逆に定着しないという状況だろうか。


 はたまた単に頭のつくりが悪いだけか(泣)


 

 それにしても3年は「長い」。


 全く逆のことを言ってるけども、正直言うと3年も猶予期間があると(猶予期間ではないのだけれど)気が弛んでしまう。


 1年とか1年半とかのスパンであっても今と同じだけの能力水準に持ってけるのではないか…。


 でも多分実際そうなったらまた不安でしょうがなくなるのだけど(笑)


 
 
 

 

新司法試験まで80日

 試験まで80日を割りましたね。もうすぐです。


 TKC模試も第2回があと1ヶ月に迫っている。どうなることやら。




 

 さてさて、うちの大学では2、3ヶ月に1回のペースで銀行関係者、公認会計士、弁護士や学者で集まる研究会があります。



 この前、参加してきました。

 
 
 テーマは、企業はなぜ不祥事を起こすのか。



 ゲストスピーカーは企業の元担当者の方と、公認会計士の方でした。



 元企業の担当者の方は今は違う企業でコンプライアンスの担当をされているとのこと。



 去年の9月末の金融商品取引法の施行までに社員関係、顧客関係、営業関係いろいろな方面に向けて書類を作られたそうで、



 その数に圧倒されました。コンプライアンス担当は大変だ。



 そして、公認会計士の方には実際の粉飾決算の事案をもとに、



 あまり立ち入った事案の説明はされずに、粉飾の発見は難しいということを言っておられました。



 後から見れば分かるけどね〜笑とのこと。

 

 ん〜まぁそうでしょうなぁ。



 最後に、最近の金融庁の現場への関与が頻繁になってきた傾向について、



 バブル前の護送船団方式に回帰しているのではないか



 と危惧しておられました。



 たしかに、JーSOXだとか内部統制システムの構築だとか、現場では対応できず、



 どうしても金融庁関与のもと処理しなければならないことが出てきますから。



 結局はそのコストが消費者の負担として転嫁されるんだよ、と。

事例検討会

 週1で学生で集まって、判例の検討会をしています。

 

 対象はできるだけ新しい判例を取り上げています。





 今日は、最判平成17年1月27日民集59巻1号200頁の事例をテーマに議論しました。



 弁済による代位の判例です。



 備忘録として今日のポイントを記録しておきたいと思います。





 H17年判決の要旨

不動産を目的とする1個の抵当権が数個の債権を担保し、そのうちの1個の債権のみについての保証人が当該債権にかかる残債務全額につき代位弁済した場合において、当該抵当不動産の換価による売却代金が被担保債権のすべてを消滅させるに足りないときには、債権者と保証人は、両者間に前記売却代金からの弁済の受領についての特段の合意がない限り、前記売却代金につき、債権者が有する残債権額と保証人が代位によって取得した債権額に応じて案分して弁済を受ける。


 この判例は、


 債権の一部代位弁済者は債権者との関係では、配当で債権者に劣後して扱われる


 としています。





 そして、この判決との関係で問題となるのは、最判昭和62年4月23日民集未搭載。




債権の一部について代位弁済がされた場合、右債権を被担保債権とする抵当権の実行による売却代金の配当については、債権者は代位弁済者に優先するものと解すべきであるから、債権者は、代位弁済者の求償権が消滅したと否とにかかわらず、自己の有する残債権額および被担保債権額の限度において後順位抵当権者に優先して売却代金の交付を受けることができる。

 この判決は、一部の債権について全額した代位弁済者は債権者と平等に扱われる、としています。




 両者では、


弁済による代位をした場合に債権者との関係で劣後してしか配当を受けることができないか、


と言う点に違いがあります。



 
 この一見矛盾したように見える判決を説明する論理として、




 〈1説〉

 
 S62年判決で問題となっている物的担保は根抵当権だったが、H17年判決では抵当権にすぎない。


 
 両者では債権者の期待が違うのではないか。



 後者では極度額の範囲内では確実に債権回収ができるという期待が「比較的」強い。





 〈2説〉

 H17年判決のように、何個もの債権のうちの一部の債権を保証するような場合にS62年判決と同じ枠組みで処理しようとすると当初の保証人などの期待が害されるのではないか。



 すなわち、保証人としては、当初は


 「保証の対象となっている債権についてのみ弁済すれば全部代位権行使できるよね」


 
 と思っていたのに、



 その後に複数の債権がついてしまい、さらに、一部の債権=全債権の一部として一部弁済の場合と同じように扱うと、債権者に劣後する、という結果になる。



 そこで、債権の一部についてのみ保証しようとした者の期待を保護しようとしているのではないか。




 〈3説〉

 そしてお約束、1と2の折衷的見解



の3つがあるように思います。



 事例検討会では、1が有力説で、



3説に立っている立場の人も1説に同調しながらもいたように思います。



 ちなみに、僕は2説で浮いていました(笑)





 確かに1説に立てば論理的にスッキリするのですが、


 
 根抵当権でなく、抵当権であっても「被担保債権について全額回収できる」という期待をもっているに違いないので、1の理由付けとしてはいまいち分かりづらいものがあります。



 期待の「質」の問題でしょうか。いずれにしろ、抽象論では分からないですね。





 これに関連して、福岡高裁で判決が出ています。





 

福岡高裁平成19年3月15日金商1267号58頁以下

 根抵当権に基づく不動産競売事件において作成された配当表に関し、複数の被担保債権のうち1個についての連帯保証人であり、これを元本の確定後に代位弁済した控訴人が、同じく元本の確定後に根抵当権者(債権者)から他の被担保債権を譲り受けた被控訴人に対し、債権者が代位弁済者に優先して弁済を受けられることを前提に作成された配当表における被控訴人に対する配当実施額の変更を求めた事案で、控訴人は、本件各根抵当権の被担保債権の1個について連帯保証人となり、その元本の確定後に債権者であったA銀行に対して、残債務全額を代位弁済したものであり、他方、被控訴人は、控訴人が連帯保証したものと異なる債権をその元本の確定後に譲り受けてA銀行の地位を承継した者であるから、売却代金の配当について、被控訴人は、控訴人に優先して配当を受けることができるとした事例。



 平成17年判決の根抵当権ver.です。



 こちらは案分比例での配当を否定しており、結論のみならず理由付けも上記1説と同じようです。

3000人合格時代はどんな時代か?

 この頃、弁護士会法曹人口拡大について反対決議を次々と出している模様。中部弁護士連合会、中国弁護士連合会などなど、その後もこの余波は県単位での弁護士会にも波及して、反対決議がさらに出てきそう。


 おそらく一般の方からすれば、いったん年の司法試験合格者を3000人まで増員すると決定したのに、なぜひっくり返そうとするのか、意味が分からないのではないだろうか?

 じゃあなぜ3000人という人数設定をしたのか?という単純な疑問がわく。それを含めて、今、法曹資格者をめぐる増員問題がどのような状況にあるのか、状況把握ができない、というのが現状ではないだろうか?


 法曹資格者がどれぐらいいるか、特に弁護士が国民のすぐ側にどれぐらいいるのか、ということは国民の生活に密接に関わる重要な問題だ。特に、法化社会と言われるようになったこのごろではこの問題を腰をすえて議論する必要があるのではないかと思える。


 この問題に対して、増員に反対する立場がよって立つ根拠は、「増員すれば必然的に質が落ちる」ということである。


 確かに論理的にこれは言える。合格者の人数を予め多めに設定すれば、合格水準に達していない者を合格させなければならないし、そもそも10年前までは500人だった合格者を6倍に増やすのだから抽象的に考えても落ちないわけはない。


 しかし、ここで考えなければいけないのは、3000人増員問題が日本の社会にとってどのような意味をもつのか、ということである。

 仮に質が少し落ちたとしても、それでよしとするのが政府の決定だとすればむしろ反対派がいうことは政府案に織り込み済みではないか。何を今更ということになる。そうでなく、質を落とさないために法科大学院を創設しているにもかかわらず、質が予想以上に落ちそうだとすればそれはどの程度落ちそうなのか。

 反対派の唱える反対論はあまりにも問題を単純化しすぎており、しかも反対意見の持つ意味すらよく吟味されていない


 何も反対意見が出ること自体が悪いわけではない。しかし、それなりに意味をもつ、建設的な反対意見を持ち出してさらに議論をかき回して欲しい。


 
 議論をより立体的に展開する必要がある。



 あ そもそもなぜ法曹資格者の質が落ちてはいけないのか?

 司法試験によって、ある程度合格者の質は確保できる、問題は以前の質が確保できないことである。

 ○しかし、それは必要なのかどうか。
 ○必要だとしてなぜ必要なのか。


 よく、質が落ちると国民の利益を害する弁護過誤が起きるのではないか、とする意見も挙げられる。

 ○しかし、それは本当に法的技術の質の低下によるものなのであろうか。
 ○むしろ、そうではないのではないか。他の部分、すなわち、法曹としての倫理観が欠如していることによるものではないか。
 ○それとも質が落ちれば倫理観も欠如しやすいのか。


 そもそも、弁護過誤が頻繁に起きる、という考えは前提として依頼者は法律のことについて全く無知で、弁護士が何をしようと分からないという依頼者のもであるがあるように思える。

 ○しかし、今からこのような依頼者を想定することは正しいのか。
 ○法律教育を国民的にしていくべきでないのか。
 ○少なくとも、弁護士の良し悪しを判断できる程度に弁護士の情報を社会に提供できないか。
 ○依頼者がそれを判断したときに、即座に対応できる法律サービス体制を社会全体で構築できないか。


 い 弁護士がビジネスライクになって犯罪に走るのか?


 これも単純に額面どおり受け取るべきでないだろう。

 これは弁護士の食い扶持が減ってしまうことを仮定してのものだと思われる。


 ○では、本当に弁護士の奪い合うパイはこれから増えないのだろうか。
 ○仮にその想定が正しくても、本当に犯罪に走る傾向が多くなるのであろうか。
 ○それを未然に防ぐ策はないか。
 ○仮にそのような犯罪が増加したとしても結果的に社会はよくなっていくのではないか。
 ○そのような社会を前提にしてもなお、弁護士の犯罪は許されないものであろうか。


 う 法曹資格者の増員で何が起き、減員で何が起きないか?どのぐらいの増員でそれが起きるか?


 法曹資格者の増員で確実に依頼人に対するサービスの向上が生じる。資本主義経済の定めである。逆に減員ではこの動きが鈍化する。
 
 ○増員の効果をもってしても、上記に挙げたデメリットを克服できないであろうか。

 
 以上のあ〜う、のような疑問を提示してみたが、この問題に対する切り口はいくらでもある。それはどのような社会を想定するかにかかっていると思う。

 どのような社会を想定するか、それさえも述べずにいる反対意見は無用に議論を混乱させているようにも思える。

 少なくとも、反対意見が「弁護士の質が落ちれば社会に迷惑をかける」と社会の行く末を慮って、発言するのであれば、少なくとも社会の中で十分な議論ができるように議論の素材を提供すべきではないだろうか。
 

拝啓 梅田望夫様

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

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フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

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 梅田さんの本を読みました。



 久しぶりにblogを書きたくなりました。


 gooで昔書いていたのをやめて結構経ちます。


 新司法試験まであと半年を切りました。


 忙しいですが、思うことを色々と書いていきます。